令和6年行政書士試験過去問解説 教育
【判示事項】
公立小学校の教科書代の父兄負担と憲法第26条第2項後段。
【裁判要旨】
公立小学校の教科書代を父兄に負担させることは、憲法第26条第2項後段の規定に違反しない。
「憲法26条は、すべての国民に対して教育を受ける機会均等の権利を保障すると共に子女の保護者に対し子女をして最少限度の普通教育を受けさせる義務教育の制度と義務教育の無償制度を定めている。しかし、普通教育の義務制ということが、必然的にそのための子女就学に要する一切の費用を無償としなければならないものと速断することは許されない。けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のため必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき責務を完うせしめんとする趣旨に出たものでもあるから、義務教育に要する一切の費用は、当然に国がこれを負担しなければならないものとはいえないからである。憲法26条2項後段の「義務教育は、これを無償とする。」という意義は、国が義務教育を提供するにつき有償としないこと、換言すれば、子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である。そして、かく解することは、従来一般に国または公共団体の設置にかかる学校における義務教育には月謝を無料として来た沿革にも合致するものである。また、教育基本法4条2項および学校教育法6条但書において、義務教育については授業料はこれを徴収しない旨規定している所以も、右の憲法の趣旨を確認したものであると解することができる。それ故、憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない(肢1:出題)。もとより、憲法はすべての国民に対しその保護する子女をして普通教育を受けさせることを義務として強制しているのであるから、国が保護者の教科書等の費用の負担についても、これをできるだけ軽減するよう配慮、努力することは望ましいところであるが、それは、国の財政等の事情を考慮して立法政策の問題として解決すべき事柄であつて、憲法の前記法条の規定するところではないというべきである。叙上と同趣旨に出でた原判決の判断は相当であり、論旨は、独自の見解というべく、採るを得ない。」
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【判示事項】
一 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定と憲法26条、教育基本法10条
二 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定と憲法21条2項前段
三 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定と憲法21条1項
四 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定と憲法23条
五 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定における文部大臣の裁量的判断と国家賠償法上の違法
【裁判要旨】
一 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定は、憲法26条、教育基本法10条に違反しない。
二 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定は、憲法21条2項前段に違反しない。
三 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定は、憲法21条1項に違反しない。
四 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定は、憲法23条に違反しない。
五 学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号)に基づく高等学校用の教科用図書の検定における合否の判定等の判断は、文部大臣の合理的な裁量にゆだねられているが、文部大臣の諮問機関である教科用図書検定調査審議会の判断の過程に、申請原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況等についての認識や、検定基準に違反するとの評価等に関して看過し難い過誤があり、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となる。
「1 所論は、要するに、学校教育法21条1項(昭和45年法律第48号による改正前のもの、以下同じ)、51条(昭和49年法律第70号による改正前のもの、以下同じ)、旧教科用図書検定規則(昭和23年文部省令第4号、以下「旧検定規則」という)、旧教科用図書検定基準(昭和33年文部省告示第86号、以下「旧検定基準」という)に基づく高等学校用の教科用図書の検定(以下「本件検定」という)は、国が教育内容に介入するものであるから、憲法26条、教育基本法10条に違反するというにある。
2 しかし、憲法26条は、子どもに対する教育内容を誰がどのように決定するかについて、直接規定していない。憲法上、親は家庭教育等において子女に対する教育の自由を有し、教師は、高等学校以下の普通教育の場においても、授業等の具体的内容及び方法においてある程度の裁量が認められるという意味において、一定の範囲における教育の自由が認められ、私学教育の自由も限られた範囲において認められるが、それ以外の領域においては、国は、子ども自身の利益の擁護のため、又は子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、子どもに対する教育内容を決定する権能を有する。もっとも、教育内容への国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請され、殊に、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは許されない。また、教育行政機関が法令に基づき教育の内容及び方法に関して許容される目的のために必要かつ合理的と認められる規制を施すことは、必ずしも教育基本法10条の禁止するところではない。以上は、当裁判所の判例(最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁)の示すところである。
3 学校教育法21条1項は、小学校においては文部大臣の検定を経た教科用図書(以下「教科書」という)等を使用しなければならない旨を規定し、同法40条が中学校に、同法51条が高等学校にこれを準用している。これを受けて、旧検定規則1条1項は、右文部大臣の検定は、著作者又は発行者から申請された「図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適することを認めるものとする」旨を規定している。そして、その審査の具体的な基準は旧検定基準に規定されているが、これによれば、本件の高等学校用日本史の教科書についての審査は、教育基本法に定める教育の目的及び方針等並びに学校教育法に定める当該学校の目的と一致していること、学習指導要領に定める当該教科の目標と一致していること、政治や宗教について立場が公正であることの3項目の「絶対条件」(これに反する申請図書は絶対的に不適格とされる)と、取扱内容(取扱内容は学習指導要領に定められた当該科目等の内容によっているか)、正確性(誤りや不正確なところはないか、一面的な見解だけを取り上げている部分はないか)、内容の選択(学習指導要領の示す教科及び科目等の目標の達成に適切なものが選ばれているか)、内容の程度等(その学年の児童・生徒の心身の発達段階に適応しているか等)、組織・配列・分量(組織・配列・分量は学習指導を有効に進め得るように適切に考慮されているか)等の10項目の「必要条件」(これに反する申請図書は欠陥があるとされるが、絶対的に不適格とはされない)を基準として行われ、他の教科、科目についてもほぼ同じである。したがって、本件検定による審査は、単なる誤記、誤植等の形式的なものにとどまらず、記述の実質的な内容、すなわち教育内容に及ぶものである。
しかし、普通教育の場においては、児童、生徒の側にはいまだ授業の内容を批判する十分な能力は備わっていないこと、学校、教師を選択する余地も乏しく教育の機会均等を図る必要があることなどから、教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準であることが要請されるのであって、このことは、もとより程度の差はあるが、基本的には高等学校の場合においても小学校、中学校の場合と異ならないのである。また、このような児童、生徒に対する教育の内容が、その心身の発達段階に応じたものでなければならないことも明らかである。そして、本件検定が、右の各要請を実現するために行われるものであることは、その内容から明らかであり、その審査基準である旧検定基準も、右目的のための必要かつ合理的な範囲を超えているものとはいえず、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含むものでもない。また、右のような検定を経た教科書を使用することが、教師の授業等における前記のような裁量の余地を奪うものでもない。
なお、所論は、教育の自由の一環として国民の教科書執筆の自由をいうが、憲法26条がこれを規定する趣旨でないことは前記のとおりであり、憲法21条、 23条との関係については、後記二、三において判断するとおりである。したがって、本件検定は、憲法26条、教育基本法10条の規定に違反するものではなく、このことは、前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。これと同旨の原審の判断は正当であって、論旨は採用することができない。
二 同第三章第二節(憲法21条違反)について
1 本件検定において合格とされた図書については、その名称、著作者の氏名及び発行者の住所氏名等一定の事項が官報に公告され(旧検定規則12条1項)、文部大臣が都道府県の教育委員会に送付する教科書の目録にその書目等が登載され、教育委員会が開催する教科書展示会にその見本を出品することができる(教科書の発行に関する臨時措置法5条1項、6条1、3項)。そして、前記のとおり、学校においては、教師、児童、生徒は右出品図書の中から採択された教科書を使用しなければならないとされている。他方、不合格とされた図書は、右のような特別な取扱いを受けることができず、教科書としての発行の道が閉ざされることになるが、右制約は、普通教育の場において使用義務が課せられている教科書という特殊な形態に限定されるのであって、不合格図書をそのまま一般図書として発行し、教師、児童、生徒を含む国民一般にこれを発表すること、すなわち思想の自由市場に登場させることは、何ら妨げられるところはない(原審の適法に確定した事実関係によれば、現に上告人は、昭和32年4月に検定不合格処分を受けた高等学校用日本史の教科用の図書とほとんど同じ内容のものを、昭和34年に一般図書として発行している。なお、上告人がその後も、右検定不合格図書を「検定不合格日本史」の名の下に、一般図書として発行し、版を重ねていることは、周知のところである)。また、一般図書として発行済みの図書をそのまま検定申請することももとより可能である。
2 憲法21条2項にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるものを指すと解すべきである。本件検定は、前記のとおり、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲に当たらず、憲法21条2項前段の規定に違反するものではない。このことは、当裁判所の判例(最高裁昭和57年(行ツ)第156号同59年12月12日大法廷判決・民集38巻12号1308頁)の趣旨に徴して明らかである。
3 また、憲法21条1項にいう表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり、その制限が右のような限度のものとして容認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである。これを本件検定についてみるのに、(一)前記のとおり、普通教育の場においては、教育の中立・公正、一定水準の確保等の要請があり、これを実現するためには、これらの観点に照らして不適切と認められる図書の教科書としての発行、使用等を禁止する必要があること(普通教育の場でこのような教科書を使用することは、批判能力の十分でない児童、生徒に無用の負担を与えるものである)、(二) その制限も、右の観点からして不適切と認められる内容を含む図書のみを、教科書という特殊な形態において発行を禁ずるものにすぎないことなどを考慮すると、本件検定による表現の自由の制限は、合理的で必要やむを得ない限度のものというべきであって、憲法21条1項の規定に違反するものではない。このことは、当裁判所の判例(最高裁昭和44年(あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁、最高裁昭和52年(オ)927号同58年6月22日大法廷判決・民集37巻5号793頁、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁)の趣旨に徴して明らかである。所論引用の最高裁昭和56年(オ)第609号同61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁は、発表前の雑誌の印刷、製本、販売、頒布等を禁止する仮処分、すなわち思想の自由市場への登場を禁止する事前抑制そのものに関する事案において、右抑制は厳格かつ明確な要件の下においてのみ許容され得る旨を判示したものであるが、本件は思想の自由市場への登場自体を禁ずるものではないから、右判例の妥当する事案ではない。
所論は、本件検定は、審査の基準が不明確であるから憲法21条1項の規定に違反するとも主張する。確かに、旧検定基準の一部には、包括的で、具体的記述がこれに該当するか否か必ずしも一義的に明確であるといい難いものもある。しかし、右旧検定基準及びその内容として取り込まれている高等学校学習指導要領(昭和35年文部省告示第94号)の教科の目標並びに科目の目標及び内容の各規定は、学術的、教育的な観点から系統的に作成されているものであるから、当該教科、科目の専門知識を有する教科書執筆者がこれらを全体として理解すれば、具体的記述への当てはめができないほどに不明確であるとはいえない。所論違憲の主張は、前提を欠き、失当である。したがって、本件検定は憲法21条1項の規定に違反するとはいえず、これと同旨の原審の判断は正当である。論旨は採用することができない。
三 同第三章第三節(憲法23条違反)について(肢2:出題)
教科書は、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、 普通教育の場において使用される児童、生徒用の図書であって(後出四の2参照)、学術研究の結果の発表を目的とするものではなく、本件検定は、申請図書に記述された研究結果が、たとい執筆者が正当と信ずるものであったとしても、いまだ学界において支持を得ていなかったり、あるいは当該学校、当該教科、当該科目、当該学年の児童、生徒の教育として取り上げるにふさわしい内容と認められないときなど旧検定基準の各条件に違反する場合に、教科書の形態における研究結果の発表を制限するにすぎない。このような本件検定が学問の自由を保障した憲法23条の規定に違反しないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和31年(あ)第2973号同38年5月22日大法廷判決・刑集17巻4号370頁、最高裁昭和39年(あ)第305号同44年10月15日大法廷判決・刑集23巻10号1239頁)の趣旨に徴して明らかである。これと同旨の原審の判断は正当であって、論旨は採用することができない。
四 同第三章第四節のうち、法治主義(憲法13条、41条、73条6号)違反の点について
1 学校教育法51条によって高等学校に準用される同法21条1項は、文部大臣が検定権限を有すること、学校においては検定を経た教科書を使用する義務があることを定めたものであり、検定の主体、効果を規定したものとして、本件検定の根拠規定とみることができる。
2 また、本件検定の審査の内容及び基準並びに検定の手続は、文部省令、文部省告示である旧検定規則、旧検定基準に規定されている。しかし、教科書は、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、授業の用に供せられる児童又は生徒用図書であり(昭和45年法律第48号による改正前の教科書の発行に関する臨時措置法2条1項)、これらの学校における教育が正確かつ中立・公正でなければならず、心身の発達段階に応じて定められた当該学校の目的、教育の目標、教科の内容(具体的には、法律の委任を受けて定められた学習指導要領)等にそって行われるべきことは、教育基本法、学校教育法の関係条文から明らかであり、これらによれば、教科書は、内容が正確かつ中立・公正であり、当該学校の目的、教育目標、教科内容に適合し、内容の程度が児童、生徒の心身の発達段階に応じたもので、児童、生徒の使用の便宜に適うものでなければならないことはおのずと明らかである。そして、右旧検定規則、旧検定基準は、前記のとおり、右の関係法律から明らかな教科書の要件を審査の内容及び基準として具体化したものにすぎない。そうだとすると、文部大臣が、学校教育法88条の規定(「この法律に規定するもののほか、この法律施行のため必要な事項で、地方公共団体の機関が処理しなければならないものについては政令で、その他のものについては監督庁が、これを定める」)に基づいて、右審査の内容及び基準並びに検定の施行細則である検定の手続を定めたことが、法律の委任を欠くとまではいえない。
3 したがって、所論違憲の主張は、前提を欠き、失当である。これと同旨の原審の判断は正当であって、論旨は採用することができない。
五 同第三章第四節のうち、手続保障(憲法三一条)違反の点について
1 所論は、行政手続にも憲法31条が適用されるところ、(一)検定の審議手 続が公開されていないこと、(二)検定不合格の場合は、事前に不合格理由についての告知、弁解、防御の機会が与えられず、事後の告知も理由の一部についてされるにすぎないこと、(三)教科用図書検定調査審議会の人選が不公正であること、(四)検定の基準(旧検定基準)の内容が不明確であることなどから、本件検定は手続保障に違反するものであるというにある(その余の論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものにすぎない)。
2 しかし、右(三)の審議会の人選が不公正であるとの点は原審の認定にそわない事実に基づくものであり、右(四)の旧検定基準が不明確とはいえないことも前記のとおりであるから、右(三)、(四)についての所論違憲の主張は、その前提を欠く。
3 また、行政処分については、憲法31条による法定手続の保障が及ぶと解すべき場合があるにしても、それぞれの行政目的に応じて多種多様であるから、常に必ず行政処分の相手方に告知、弁解、防御の機会を与えるなどの一定の手続を必要とするものではない。
本件検定による制約は、思想の自由市場への登場という表現の自由の本質的な部分に及ぶものではなく、また、教育の中立・公正、一定水準の確保等の高度の公益目的のために行われるものである。これらに加え、検定の公正を保つために、文部大臣の諮問機関として、教育的、学術的な専門家である教育職員、学識経験者等を委員とする前記審議会が設置され(昭和58年法律第78号による改正前の文部省設置法27条1項、昭和59年政令第229号による改正前の教科用図書検定調査審議会令1条、3条1項)、文部大臣の合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われること(旧検定規則2条)、申請者に交付される不合格決定通知書には、不合格の理由として、主に旧検定基準のどの条件に違反するかが記載されているほか、文部大臣の補助機関である教科書調査官が申請者側に口頭で申請原稿の具体的な欠陥箇所を例示的に摘示しながら補足説明を加え、申請者側の質問に答える運用がされ、その際には速記、録音機等の使用も許されていること、申請者は右の説明応答を考慮した上で、不合格図書を同1年度内ないし翌年度に再申請することが可能であることなどの原審の適法に確定した事実関係を総合勘案すると、前記(一)、(二)の事情があったとしても、そのことの故をもって直ちに、本件検定が憲法31条の法意に反するということはできない。以上は、当裁判所の判例(最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁)の趣旨に徴して明らかである(その後、旧検定規則が昭和52年文部省令第32号教科用図書検定規則によって全文改正され、同規則11条によって、新たに不合格理由の事前通知及び反論の聴取の制度が設けられたことは、原判決の説示にもみられ るとおりである)。
4 したがって、所論の点に関する原審の判断は、本件検定に手続保障違反の違法がないとした結論において正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
六 同第四章について(ただし、本判決末尾添付の「個別検定箇所分類表」の×印が付された箇所に関する部分を除く。右部分は、昭和63年11月24日付け上告理由補充書をもって上告理由から撤回されている。後記七、八につき同じ)
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯す ることができ、右事実関係の下においては、本件各検定処分において検定関係法令が憲法又は教育基本法の趣旨に反して適用、運用されたとはいえないとした原審の判断は、前記各大法廷判決(昭和38年5月22日判決、昭和44年10月15日判決、昭和49年11月6日判決、昭和51年5月21日判決、昭和58年6月22日判決、昭和59年12月12日判決、平成4年7月1日判決)の趣旨に徴して、正当として是認することができ、その過程にも所論判断遺脱等の違法はない。論旨は採用することができない。
七 同第五章(第一節第四及び平等原則違反、一貫性原則違反の点を除く)について
1 本件検定における教科用図書検定調査審議会の合否の判定は、旧検定基準の絶対条件については各条件ごとに合否を判定し、必要条件については、各条件ごとに申請原稿中の欠陥があるとされる箇所を具体的に指摘し(右欠陥箇所の指摘を「検定意見」と称している)、その欠陥の質及び量に基づき各条件ごとの評点を決し、右各評点を合計して合否を判定し(必要条件全体に1050点の評点を配し、800点以上を「合」とする)、右絶対条件及び必要条件のいずれについても「合」とされたものを、合格と判定している。そして、この場合においても、指摘された欠陥で程度が大きいと認められるものについては、その修正を条件として合格と判定される(中学校用および高等学校用教科用図書の検定申請新原稿の調査評定および合否判定に関する内規・昭和34年12月12日審議会決定)。上告人側の申請に 係る本件図書については、昭和37年度は、申請原稿に323箇所の欠陥が指摘され、絶対条件は「合」とされたが、必要条件の合計評点が784点で同条件において「否」とされ、不合格と判定された。また、昭和38年度は、申請原稿に290箇所の欠陥が指摘されたが、絶対条件、必要条件(合計評点846点)とも「合」とされ、欠陥修正後の再審査を条件として合格と判定された。右審議会の合否の判定は、欠陥の指摘(検定意見)とともに文部大臣に答申され、文部大臣は両年度とも答申どおりの処分をした(なお、昭和38年度は、再審査の段階で欠陥の追加指摘がされた)。以上は原審の適法に確定するところである。
2 本件検定の審査基準等を直接定めた法律はないが、文部大臣の検定権限は、 前記一の2記載の憲法上の要請にこたえ、教育基本法、学校教育法の趣旨に合致するように行使されなければならないところ、前記のとおり、検定の具体的内容等を定めた旧検定規則、旧検定基準は右の要請及び各法条の趣旨を具現したものであるから、右検定権限は、これらの検定関係法規の趣旨にそって行使されるべきである。そして、これらによる本件検定の審査、判断は、申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量に委ねられるものというべきである。したがって、合否の判定、条件付合格の条件の付与等についての教科用図書検定調査審議会の判断の過程(検定意見の付与を含む)に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となると解するのが相当である。
なお、検定意見は、原稿の個々の記述に対して旧検定基準の各必要条件ごとに具体的理由を付して欠陥を指摘するものであるから、各検定意見ごとに、その根拠となるべき学説状況や教育状況等も異なるものである。例えば、正確性に関する検定意見は、申請図書の記述の学問的な正確性を問題とするものであって、検定当時の学界における客観的な学説状況を根拠とすべきものであるが、検定意見には、その実質において、(一)原稿記述が誤りであるとして他説による記述を求めるものや、(二)原稿記述が一面的、断定的であるとして両説併記等を求めるものなどがある。そして、検定意見に看過し難い過誤があるか否かについては、右(一)の場合は、検定意見の根拠となる学説が通説、定説として学界に広く受け入れられており、原稿記述が誤りと評価し得るかなどの観点から、右(二)の場合は、学界においていまだ定説とされる学説がなく、原稿記述が一面的であると評価し得るかなどの観点から、判断すべきである。また、内容の選択や内容の程度等に関する検定意見は、原稿記述の学問的な正確性ではなく、教育的な相当性を問題とするものであって、取り上げた内容が学習指導要領に規定する教科の目標等や児童、生徒の心身の発達段階等に照らして不適切であると評価し得るかなどの観点から判断すべきものである。
3 原審が裁量権の範囲の逸脱の審査基準として説示するところは、結局のところ、以上と同旨をいうものとして是認することができる。
また、審議会が付した所論の各検定意見(前記「個別検定箇所分類表」の「固有濫用」欄参照)に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができ、右事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、その説示の一部において措辞妥当を欠く点がないではないが、右各検定意見に看過し難い過誤があったとはいえないとする趣旨のものとして、結論において是認し得ないものではない(右各検定意見の中には、その内容が細部にわたり過ぎるものが若干含まれているが、いまだ、旧検定基準に違反するとの評価において看過し難い過誤があるというには当たらない)。
4 したがって、文部大臣の本件各検定処分に所論の裁量権の範囲の逸脱の違法があったとはいえず、これと同旨の原審の判断は相当である。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するに帰し、いずれも採用することができない。
八 同第五章のうち、平等原則違反、一貫性原則違反の点について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、文部大臣の本件各検定処分に 所論平等原則違反、一貫性原則違反の裁量権の範囲の逸脱の違法があったとはいえないとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。
九 同第五章第一節第四について
所論の点に関する原審の判断は、記録に照らして是認することができ、原判決 に所論の違法は認められない。論旨は、原審で主張しなかった事由に基づいて原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。」
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【判示事項】
一、地方教育行政の組織及び運営に関する法律54条2項と昭和36年度全国中学校一せい学力調査の手続上の適法性
二、憲法と子どもに対する教育内容の決定権能の帰属
三、教育行政機関の法令に基づく教育の内容及び方法の規制と教育基本法10条
四、昭和36年当時の中学校学習指導要領(昭和33年文部省告示第81号)の効力
五、昭和36年度全国中学校一せい学力調査と教育基本法10条
六、教育の地方自治と昭和36年度全国中学校一せい学力調査の適法性
【裁判要旨】
一、地方教育行政の組織及び運営に関する法律54条2項は、文部大臣に対し、昭和36年度全国中学生一せい学力調査のような調査の実施を教育委員会に要求する権限を与えるものではないが、右規定を根拠とする文部大臣の右学力調査の実施の要求に応じて教育委員会がした実施行為は、そのために手続上違法となるものではない。
二、憲法上、親は一定範囲においてその子女の教育の自由をもち、また、私学教育の自由及び教師の教授の自由も限られた範囲において認められるが、それ以外の領域においては、国は、子ども自身の利益の擁護のため、又は子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、子どもの教育内容を決定する権能を有する。
三、教育行政機関が法令に基づき教育の内容及び方法に関して許容される目的のために必要かつ合理的と認められる規制を施すことは、必ずしも教育基本法10条の禁止するところではない。
四、昭和36年当時の中学校学習指導要領(昭和33年文部省告示第81号)は、全体としてみた場合、中学校における教育課程に関し、教育の機会均等の確保及び全国的な一定水準の維持の目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な遵守基準を設定したものとして、有効である。
五、昭和36年度全国中学校一せい学力調査は、教育基本法10条1項にいう教育に対する「不当な支配」として同条に違反するものではない。
六、文部大臣が地方教育行政の組織及び運営に関する法律54条2項の規定を根拠として教育委員会に対してした昭和36年度全国中学校一せい学力調査の実施の要求は、教育の地方自治の原則に違反するが、右要求に応じてした教育委員会の調査実施行為自体は、そのために右原則に違反して違法となるものではない。
「ところで、右のような公教育制度の発展に伴つて、教育全般に対する国家の関心が高まり、教育に対する国家の支配ないし介入が増大するに至つた一方、教育の本質ないしはそのあり方に対する反省も深化し、その結果、子どもの教育は誰が支配し、決定すべきかという問題との関連において、上記のような子どもの教育に対する国家の支配ないし介入の当否及びその限界が極めて重要な問題として浮かびあがるようになつた。このことは、世界的な現象であり、これに対する解決も、国によつてそれぞれ異なるが、わが国においても戦後の教育改革における基本的問題の一つとしてとりあげられたところである。本件における教基法10条の解釈に関する前記の問題の背景には右のような事情があり、したがつて、この問題を考察するにあたつては、広く、わが国において憲法以下の教育関係法制が右の基本的問題に対していかなる態度をとつているかという全体的な観察の下で、これを行わなければならない。
(二)ところで、わが国の法制上子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているかについては、二つの極端に対立する見解があり、そのそれぞれが検察官及び弁護人の主張の基底をなしているようにみうけられる。すなわち、一の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであつて、そこにおいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体の教育意思は、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国民全体の意思の決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する。これに対し、他の見解は、子どもの教育は、憲法26条の保障する子どもの教育を受ける権利に対する責務として行われるべきもので、このような責務をになう者は、親を中心とする国民全体であり、公教育としての子どもの教育は、いわば親の教育義務の共同化ともいうべき性格をもつのであつて、それ故にまた、教基法10条1項も、教育は、国民全体の信託の下に、これに対して直接に責任を負うように行われなければならないとしている、したがつて、権力主体としての国の子どもの教育に対するかかわり合いは、右のような国民の教育義務の遂行を側面から助成するための諸条件の整備に限られ、子どもの教育の内容及び方法については、国は原則として介入権能をもたず、教育は、その実施にあたる教師が、その教育専門家としての立場から、国民全体に対し て教育的、文化的責任を負うような形で、その内容及び方法を決定、遂行すべきものであり、このことはまた、憲法23条における学問の自由の保障が、学問研究の自由ばかりでなく、教授の自由をも含み、教授の自由は、教育の本質上、高等教育のみならず、普通教育におけるそれにも及ぶと解すべきことによつても裏付けられる、と主張するのである。
当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える(肢3:出題)。
以下に、その理由と当裁判所の見解を述べる。
2 憲法と子どもに対する教育権能
(一)憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法26条であるが、同条は、1項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、2項において、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と定めている。この規定は、福祉国家の理念に基づき、国が積極的に教育に関する諸施設を設けて国民の利用に供する責務を負うことを明らかにするとともに、子どもに対する基礎的教育である普通教育の絶対的必要性にかんがみ、親に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、かつ、その費用を国において負担すべきことを宣言したものであるが、この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる(肢4:出題)。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。
しかしながら、このように、子どもの教育が、専ら子どもの利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであるということからは、このような教育の内容及び方法を、誰がいかにして決定すべく、また、決定することができるかという問題に対する一定の結論は、当然には導き出されない。すなわち、同条が、子どもに与えるべき教育の内容は、国の一般的な政治的意思決定手続によつて決定されるべきか、それともこのような政治的意思の支配、介入から全く自由な社会的、文化的領域内の問題として決定、処理されるべきかを、直接一義的に決定していると解すべき根拠は、どこにもみあたらないのである。
(二)次に、学問の自由を保障した憲法23条により、学校において現実に子どもの教育の任にあたる教師は、教授の自由を有し、公権力による支配、介入を受けないで自由に子どもの教育内容を決定することができるとする見解も、採用することができない。確かに、憲法の保障する学問の自由は、単に学問研究の自由ばかりでなく、その結果を教授する自由をも含むと解されるし、更にまた、専ら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を主とする普通教育の場においても、例えば教師が公権力によつて特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない。しかし、大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない(肢5:出題)。もとより、教師間における討議や親を含む第三者からの批判によつて、教授の自由にもおのずから抑制が加わることは確かであり、これに期待すべきところも少なくないけれども、それによつて右の自由の濫用等による弊害が効果的に防止されるという保障はなく、憲法が専ら右のような社会的自律作用による抑制のみに期待していると解すべき合理的根拠は、全く存しないのである。
(三)思うに、子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく 左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる。子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。憲法がこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上に述べたとおりである。そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである。
そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。もとより、政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法26条、13条の規定上からも許されないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。」
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解答3
【平成2年1月18日,最高裁判所第一小法廷,行政処分取消】
【判示事項】
一 高等学校学習指導要領(昭和35年文部省告示第94号)の性質
二 学校教育法51条により高等学校に準用される同法21条の法意
【裁判要旨】
一 高等学校学習指導要領(昭和35年文部省告示第94号)は、法規としての性質を有する。
二 学校教育法51条により高等学校に準用される同法21条は、高等学校における教科書使用義務を定めたものである。
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